ゅあーるえる

万物は自己満足に収束する。

伏線という一つの結論。

今回めっちゃ長いです。。。。

 

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僕には一応「貯金」と呼ばれるものが存在してる。

今の時代とはちょっとかけ離れた貯金をするような生活を送っている。

まあ、社会人や4年制大学のように稼げる時間なんて無いのであると言ってもいざというときに使える分だけ。

その「いざ」というときは、欲しいものができたときでもあるし、僕が使うと思ったときに使うお金だ。

貯金することに何も苦を思うことはなく、むしろあることに喜びを感じたりするほど。

それが良いというわけではなく、使って貯金ゼロ

なんてことも悪いわけではない。

それぞれにお金の管理がしっかりしていて、生活に何かしらの支障が出ないのであれば、問題ないとは思う。

 

僕は以前バイトをしていたことがある。

高2のときだ。

週3~4を希望し、初週は見事6日働いた。

社会の最初の理不尽さを学んだ。

でもやめるつもりも、辛いという気持ちもそんなになかった。

時給730円で、平均週5、土日は13時から22時まで。

正直当時の僕はどうかしていたと思う。

もっと良い場所なんていくらでもあるだろうし。

 

でも、それでも手に入れたお金は当時の僕にとっては大金だった。

約6万を手にしたとき、金銭感覚というものが狂った。

 

毎月約6万手に入るということは5万の貯金ができ、残りは財布に入る。

かつ、お小遣いも5000円ほど頂ける。

なんて贅沢なんだろうと。

そのころの使い道はあまり詳しくは覚えていないがおそらくカラオケ、友人との飯、ライブなどにつぎ込んだであろう。(多分)

 

貯金通帳を見るのが楽しみで仕方がなかった。

毎月新作のお菓子を買ったり、無駄にデスク周りを強化したりと、

有意義なものだった。

それがすべてだと思った。

それが間違いでもあった。

社会人はその何倍ものお金を、何倍もの時間を仕事をして得ている。

たかだかバイト風情が頑張ったとて、当然社会人には勝てないのだ。

間違い、というのは経験にもなる。

 

バイトをすることによって、

自分の愚かな金銭感覚などを今に生かすことができる。

好きなものを買い、また稼ぐ。

その喜びを知ったかつての僕は、今の生活なんて全く予想できなかっただろう。

面白いことに趣味が固定化し、使うお金が激減した。

 

いつもいつも稼ぎたいという気持ちがあったバイト時代の僕は

今や欲しいものがあったならば、それのために稼ぐという考えにシフトしつつある。

欲は人並み以上にあるが、お金を無理に生成してまで欲しいものは少ない。

この意味は

お金にそもそもの大きな価値を見出さない

ということ。

また、

欲しいものでもすべてが本当に欲しいものではない

ということ。

 

*** (続きから)

 

今の時代お金を手に入れる方法なんて多様化して数えきれないほどでもある。

情報で

お金を稼ぐ方法を見つけ出す

という一つの大きなツールを手に入れた。

これからは自分次第でもある。

 

ただ、大きく稼ぐつもりはなく、欲しいもの、したいことに使う分だけ稼ぐつもりである。

 

出来ない

と、可能性を狭めてしまうのならばそれは自分で自分の自由度を下げているようなもの。

 

何が言いたいのかというと、お金の価値というのは昔ほど高価ではなくなったということ。

それと同時に稼ぎが多様化し、誰でもやり方次第でお金は生成できるということ。

 

最近特にそう感じるようになったのは

携帯電話(スマートフォン)を幼い子供らが所持するようになったこと。

 

自分で買ったことのない者は知ることはないと思うが、

スマートフォンはとても高価な代物である。

 

しかし手軽で、親に頼めば買ってもらえる。

そう思うのなら

ハハッ、それは君の家庭がとても裕福なんだね。

スマホの価値が分からず利用するには宝の持ち腐れとも言えよう。

 

iPhoneやgalaxyなどの有名機種の上位機種に関しては一台で10万を超える。

それはもちろん高価だが、スマホというのもかなり普及していて、

普及したからこそ、安い機種なども2万円ほどで購入はできる。

それでも2万円の価値があるものを、子供が持っている。

今だったら

普通だろと思うが、

昔だったら

意味が分からない世界だろう。

 

時代というのは

本当に自然に、そして振り返り不自然に変わっていく。

矛盾だが、そう感じざるを得ない。

 

いつの時代も同じように歩む。

時代によって新たな技術や文化が生まれ、

もとより価値のあったものが安くなり、

新しく出てきたものがとても価値が高くかつ敷居が高い。

 

それがたまたまこの時代ではお金という存在がそうなっている。

一概に時代がそうさせたわけではなく、

日本という国が政府などにより豊かになったからともいえる。

 

最後に。

色々と脱線しながらうだうだと書いてきたが、、、

 

すべての事象が何に結び付くのか、

先の事はすべて知ることなど不可能であるが

すべてにおいて

今身の回りや自分の身に降り注いでいる出来事

伏線となっている、と言えるだろう。

 

大きくも小さくも。

次を決めるのはすべて自分のしてきたことであること、その都度の選択によるもの。

当たり前のようで、見落としがちなこと。

 

ゅあ