好いても嫌よも、自由なんだ。
自由、そう自由なんですよ。
昔の僕は大人はみんな自由だと思ってた。
でも、周りの大人たちは自由というより我慢がふさわしい生き物だった。
我慢して、我慢して、我慢して。
相手を傷つけたくないだとか、自分が悪いからだとか。
最初はかっこ悪いとか思ってた。
我慢してストレス抱えて、そんでも誰も傷つけたくないとかただのエゴだよ。
そうだ、僕も我慢してる。
時にコップに水を注ぎ続ければいずれあふれる。
そんなのあたりまえであって、誰もが普通にするかもしれないことですよね。
僕も納得いかないときもあるし、今までそうだった。
だから、自分が変わるしかなかった。
どちらかが、諦めるか、どちらかが言うか、どちらも言うか、どちらも言わないか。
どれも不正解じゃない、落ち着けないなら落ち着こうとしないでいい、吐けばいい。
言いたいなら言えばいい、言いたくないなら勝手に我慢。
言えないって、確かに言えないですよ。関係が悪くなるの嫌だもん。
口だけだし、これからもそうだけど。
嫌というのも、好きというのも自由。
嫌と言えないのと一緒で、愛情表現というのか、好きを伝えるのが下手なことだってある。
合う合わないあるし、自分の好きにすればいい、自分の人生なんだから。
よく言われた。お前はだれのために生きてんだよと。
答えはそれぞれだけど、僕は自分のために生きてんだよ。
それ以外ねぇよ。
人のため?最終的に自分のためだよ。
それでいい。自由。
ゅあ