ゅあーるえる

万物は自己満足に収束する。

最近忙し、夏に触れる。

7/29日 日曜日。

弁論大会というものに弁士として出場してきました。

沢山の感極まる声援の中、泣きながら思いを伝えた。

伝わったのか、7分間の暗記弁論が9分間という2分間オーバーになりつつも、優秀賞。

嬉しい、けどなんで僕。

みたいな感じで余韻に浸る暇もなく、今日から始まった企業実習。

脱水症状でふらふらだけど、なんとかやらねば。

皆さんも今年はかなりの猛暑っぽいのでお気をつけて。

あ、my廊下では上半裸だけど、下ははいてますんで。

えぇ。

 

原稿乗せておこうかな。(一部改変あり。)

 

 

 

 私は現在システムエンジニアを目指して、短期大学に通っています。これまで生きてきた20年間の人生の中で、楽しい思い出もあれば、つらく苦しい経験もありました。その中でも特に苦しんだのが、小学生から中学生まで続いたいじめでした。毎日が地獄のようで、生きる気力すら失っていましたが、あることをきっかけにいじめられていた生活から抜け出すことが出来ました。いじめから逃げずに、真正面から向き合うことによって、私の人生は大きく変わったのです。
 

 私の小学校は1クラスしかない、とても小さな学校でした。私を含めた17名のクラスで唯一、私だけが小学6年の時たまたまいじめの標的になってしまったのでした。クラスメイトから避けられるようになり、終いに、担任の先生にまで愛想をつかれてしまった私は、簡単に家族に相談できるような状況ではありませんでした。
「なんで僕なんだろう、なんでこういうことをするんだろう」
毎日毎日考え込みました。でも答えは出てきません。小学生の私には難しい問題でした。卒業して中学校に入学して新たにやり直そうと考えていました。

 

 中学校に入学し、気持ちの切り替えができたと思っていたのですが、なかなかいじめというのは粘り強く私に張り付いて離れません。
「辛い、悲しい」
そんな思いが小学校から続いたせいか、私は涙もろくなっていたのです。人前で泣いてしまったのが引き金となったのか、それとも小学生のときいじめてきた女の子が言いふらしたのか、それが不良グループに伝わって、中学校でもいじめの標的になってしまったのでした。
人生に絶望しました。
「なんで、なんで、なんで!」
心はボロボロで、自ら命を絶ってしまいたいという状態まで来ていました。


 そんなとき、変わるきっかけを与えてくれた人がいました。今は亡き祖父でした。祖父はお酒と煙草によって引き起こされた病気と戦い、入退院を繰り返す生活をしていました。そんな祖父はいつも、私が家に帰ってくるとヨロヨロとこっちにきてこう言うのです。
「ゅあちゃんのためならえんやこら!」
なんでそんなににこやかに、楽しそうに嬉しそうな笑顔で言うのだろう。当時中学生の私では到底理解できるまでに至りませんでしたが、祖父の言葉に勇気付けられている自分がいました。
「なんとか変わらなきゃ。僕は変わるんだ。自分の人生だ。」
そう言い聞かせ、なんとか中学2年生のとき担任の先生に涙目で、震えながらの声で相談しました。

 

 先生は言いました。
「よく言えた、お前はえらい。」
その言葉を聞いた瞬間私は救われた気がしました。今まで誰にも相談することがなく、閉鎖的だった私がちっぽけな悩みに対し、とても大きな勇気を出しきった瞬間だったのです。すごく気持ちが楽に、同時に周りに対しての、ものの見方や考え方が変化し、余裕が生まれるようになりました。涙も、感動する時や、誰かのために泣くことはあっても、決して自分がその場しのぎで泣いてしまうということはしなくなりました。
中学3年生の受験の時期では、一緒になって受験勉強に励むようになりました。
人と関わることから逃げてきた私は、いじめグループによって学ばされ、人との向き合い方を知ったのです。
そんな変わった私に対し、きっかけを与えてくれた祖父は受験の3週間前に息を引き取りました。

 もっと祖父に恩返しがしたかったです。祖父が今でも生きていたら、


「じいちゃんのおかげで僕、変われたんだよ。ありがとう。」

お礼を言って、


「今年ではたちだよ、一緒にお酒を飲もう。」

大好きなお酒を一緒に飲んで、


「そうだ、温泉行こう。」

いつかの温泉旅行みたいに、

 

そして、将来は

「じいちゃん、お嫁さんを連れてきたよ。」


なんてこともできたらなと思っていました。今になってとても悔しいです。
振り返ると、些細な出来事で、学校という小さなコミュニティが、唯一の世界だと思っていた自分が情けなく感じますが、私にとってこの出来事はとても重要なことだと思っています。
この出来事すべてがあったから、今の私がいます。

 過去を振り返ることは、今しかできません。過去と向き合わなければ、未来を決めることはできません。

 過去は

「私にとっての後ろめたいもの」

ではなく、

「この先の人生に必要な財産」

だと、私はそう学んだのです。


 これから先の人生、人間関係はじめ、色々と大変な事もあると思いますが、逃げずに真正面から向き合って、困難を乗り越えていきます。


「じいちゃん僕はもう大丈夫、これからも見守っていてください。」


ご清聴ありがとうございました。