ゅあーるえる

万物は自己満足に収束する。

意義ある選択を。

人は人を選び、選ばれる。

そうやって今までの人生において、選択されたことと選択されなかったことが、必ず存在する。

いつしか、選ばれたことに対して、嬉しさよりも素直な喜びを忘れ、終いには嫌悪まで感じるようになった自分とその世界を恨みたい、がそれ故に自分がいると知る。

 

 

好きでもないような人からの好意は、言ってしまえば相手方の自己満足であって、された側の対応も、結局は自己満足であるが為に成り立っているようなものである。

 

 

 

相手の何気ない一言が、時に人を傷つける刃となる。

 

意識は自身を支配する。それは不可視の領域でもある。

 

意識的に、嫌であれば嫌だし、好きであれば好きだ。

 

 

意識と繋がって、人の色んなところを汲み取って好きか嫌いか判断するのに、

申し訳なさを感じる必要性はあるのだろうか。

 

生きていく上で、合理を追求するのは悪いことではない。

 

人というのは、曖昧な存在。

 

ロボットのようなプログラムされたものでないからこそ、合理の中にも感情や潜在意識による変化がある。

 

好き嫌いは、あって当たり前。

一言一言にどんな意味が込められるのか、大切に受け取るべきだろう。

 

それをどう活かすか、その先を見なくては、生きていくのは難しい。

 

 

ゅあ