人間、人の間柄 2018/10/7 18:44:31
誰がどうとか、自分がどうとか色々あると思う。
人と比べてしまうのことをよく僕はする。
みんなはできるのに、僕はできないやろうとしない。
とかね。
まあそんなことは前置きに過ぎないわけで。
家で僕は小学校の頃から家事をするのが当たり前になりました。
まあ、昭和の時代とかは子供が家の手伝いをするのは普通のような感じと同じですね。(小学校のとき読んだ漫画:三丁目の夕日参考)
てか今思うと小学生で三丁目の夕日なんて渋いなぁと思った。笑
まあそれもあって、家事することが普通であると思っていた僕がまず驚いたのは
クラスメートは自分の時間に家事なんてしていない!
それよかゲームや遊び、テレビを見る時間がほとんど。
まあ、それが一般的だと思う。
そのころの僕は時間を奪う親を憎んだ。子供だなぁ。
なんで今みんなは楽しいことしているのに自分は苦しまなくちゃいけないんだとか。
お前は真面目な子供だよ、ぼく。
〇〇君たちはポケモンやってる!僕も欲しい!
なんてことを言ってたなぁ。
なんと、家はゲーム禁止の家。
はっは。これじゃあテレビを見るとか外で遊ぶとかしかないか。
なんと、テレビは1時間まで。
外で遊ぶか。遊ぼうとしても友だちはテレビゲームしかやらんか。
前置きに前置き重ねてどうすんだ。
さて、家事を小学生からずっと今の今までずーっとやっている僕はなんなのか?
そう、普通の人間。
みんなとは何ら変わらない。
だからあきらめろ。
それが僕を人間として扱える最低限度のノルマだということ。
幸か、不幸か。
逃げずにやり続けたらなんとまぁ少しはちゃんとした人間になったんじゃないの。
知らんけど。
人はそれぞれだから、家庭もそれぞれで。
それを家族以外にぶつけても意味はないし、何も始まらない。
人に言う前に、人に言われる前にまずは自分をしっかり持て。
話はそこからだ。
ゅあ
P.S 家庭環境がひどい家は世の中沢山あって、もちろん一般常識がひねくれていたり、性根が元から腐っている親は沢山いる。
それをどうこう言っていいのはせいぜい学生の間だけだと思う。勿論僕も然り。社会人なったらそうも言ってられないんじゃない?知らんけど。
何も変わろうとしなければ人間何も変われない。
そうだよね、देवता。